こんにちは☺︎いつもありがとうございます。
前回の記事で、私がどんな子どもだったのか、ざっくりとお話しました。
今日は学校生活で印象深かったことを書きたいと思います。
今から思い返せば、思春期のエゴまみれの自分。悩まなくていいよって、大切なことはもっと他にあるよって声をかけてあげたいこともたくさんあります。
でもその時その時の私は精一杯だったんだよね。そんな風に、過去の自分をハグする気持ちで振り返ります。
幼稚園〜優しさに触れた経験
皆さんは、タイムマシンで好きな時代に戻れると言われたら、いつにしますか?
私は迷わず、幼稚園。それくらい幼稚園が大好きでした。包まれていたような、そんなイメージ。
先生も温かくて優しかったし、キリスト教系の幼稚園だったからかな、時々聖書のお話をみんなで聞いたりもして、平和な幼稚園生活でした。幼稚園はみんなそんなものか(笑)
きっと何か障害があったのだと思うのですが、言葉をうまく話せないお友だちがいて、その子のことをいつも気にかけてあげていたある男の子のことを今でも思い出します。
その子の純粋で優しさが溢れる行動が、幼心にとても眩しかった。優しいなあと思ってみていた。自分にはない優しさのような気がしたのかもしれません。今、あの時の2人はどんな風に過ごしているのかな。
小・中学校〜友達ってなんだろう
そんなHAPPYな幼稚園が終わり、小学校から少しずつ仲良しグループができ始めます。一緒に帰る、帰らないとか。
交換日記やプロフィール帳が流行っていて、いくつもグループをかけもちして交換日記をしたり、プロフィール帳を色んな子に書いてもらってたくさん集めたり、仲間外れにされたくなくて、そんなことに時間を費やしていました。
また、高学年になるにつれて、おしゃれをしたり活発で目立つタイプと、おとなしくて控えめなタイプにクラスも徐々に分かれていきました。(今思うと私自身がそういう色眼鏡で同級生のみんなを見ていたのですが)
私の通っていた小学校は、ほとんどの子がそのまま同じ中学校に進学します。閉鎖的な人間関係の中で、地味とかダサいとか思われたくない、そんな気持ちで、持ち物や服装を選んだりしてました。
そんなに必死だったのに、今でも連絡を取り合う当時の友だちは2〜3人。友だちの形にばかり囚われていたのだと思います。
小・中学校〜いじめについて思うこと
いじめと呼べるような現象は大小いろんなところにありました。誰かの陰口を言い合ったり、知的障害があっていつも男子にからかわれていた子もいたし、不良グループの中ではしょっちゅうハブかれる人が入れ替わっていたし、昨日まで仲が良かったのに急に無視されたりなんかは私も経験しました。
自分がいじめることはしなかったけど、いじめられているのを止められなかったことはありました。よくある言い訳だけど、自分がいじめられたくなかったから。でもそれは今、後悔となって残っています。また、言葉に出さなくても誰かのことを心の中でジャッジしていた自分もいたことも。
「人を外見で判断してはいけない」とかよく言うけれど、もはや中身でもなく、その人の本質をみようって過去の私にも今の私にも言いたい。私は友だちのことを全然わかっていなかった。自分のことも。
今もいじめや悲しいニュースはたくさん耳にします。自分勝手だけど、娘も生まれて未来の世代のことを思ったら、今の子どもたちのことを思ったら、やっぱりいじめなんてなくなって欲しいと思う。
私がヨガを子どもたちが小さな頃から伝えたいと思っているのは、ヨガはすべてがひとつであることを教えてくれるから。
ヨガ哲学やヨガの練習で、今、この命があることの奇跡を思い出したら、自分のことも相手のことも大切にする気持ちが自然と芽生えます。それがいじめや戦争のない世界につながると思うのです。
高校時代〜自分らしくいる幸せ
私は学区外の公立高校を受験しました。生徒の自主性を重んじるという高風と、吹奏楽部が強いこと、そして何より、地元から離れて新しい気持ちでスタートしたい、そんな気持ちで選びました。
それは今のままの自分ではなく、どこか何か変わりたい、そんな気持ちの表れだったのだと思います。
その結果、私は変われたのでしょうか。うーん。変わったところもあれば、変わらないところもあると思います。でも、少なくとも中学時代までより自分らしくいられたと思います。
それってとても幸せなことですよね。
本当に自由な学校で、制服もあるけど着ても着なくてもOK、どんな髪型でもいいし、基本的に自由、自己責任。進学校で、進学率もとても高かったですが、勉強も行事も強制的ではなく、それぞれのスイッチが入るととことんやる。部活もマニアックなものから色々あって、一人ひとり好きなものを大事にしていて、それが自分と違っても馬鹿にするような雰囲気がない。代々そういった学校の雰囲気を繋いでくれていた先輩方や先生方には感謝です。そんな雰囲気だから、自分は自分と、少しずつ思えるようになっていきました。
私は特に吹奏楽部の活動に打ち込んでいたので、その過程で同じ夢に向かう仲間にも恵まれました。そうやって出逢ったメンバーは今でも特別な存在です。友だちというより、”仲間”がしっくりきます。
自分の大切にしているものも伝えるし、だからこそ相手の大切なものも尊重できる。高校生活で大切なことを経験させてもらいました。
自由になるって自分らしくいるということなのかも。

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