私は毎日、娘に「ありがとう」をたくさん使うようにしています。
「大好きだよ」もいっぱい使うし、言われるととても嬉しそうではあるのですが、「ありがとう」と言われた時の方がもっともっと嬉しそうということに、ふと気づいたからです。
「ありがとう」と伝えると、はにかみながら「どういたしまして〜」といつも返してくれます。
ただ、この時、ひとつ気をつけていることがあります。

2つの”承認” ①行動承認
「ありがとう」ってどんな時に使いますか?
私もそうですが、誰かに何かをしてもらった時に、その行為に対して感謝の気持ちを伝えるために使うことが一般的だと思います。例えば、朝起こしてくれてありがとう、ご飯を作ってくれてありがとう、プレゼントをくれてありがとう、などなど。これを行動承認と呼びます。
娘にも、「お皿を運んでくれてありがとう」とか、「お片付けしてくれてありがとう」など、何かができたこと、してくれたことに対して使っています。もちろん、言われると娘は誇らしげで、またお手伝いしたいというモチベーションにもつながっていると感じます。
2つの”承認” ②存在承認
これに対して、相手の存在そのものを認めることを存在承認と呼びます。何かをしてくれたから、という過去や条件に対してではなく、目の前のあなたの存在そのものの価値を認めていますと伝えること。社会生活の中では、相手の名前や話した内容を覚えていたり、相手のために時間を取るなどの態度で示すことができます。
冒頭に書いた、気をつけていることとは、この存在承認の意味を込めた「ありがとう」も、ことあるごとに伝えるようにしているということです。
例えば、朝起きた時に、「今日も元気に目を覚ましてくれてありがとう」、お風呂の中で「今日も一緒にいてくれてありがとう」という感じで。ただここにいてくれるだけで嬉しいんだよ、ということを伝えたくて、ちょこちょこと伝えています。娘は少し言われ慣れた感もありますが(笑)毎回ちょっとデレデレしながら「どういたしまして、えへへ」と返してくれます。
自己肯定感の土台となるのは…
自分が承認されていると感じることは、自己肯定感を育むことにも繋がっていきます。
それには、どちらか一方の承認ではなく、どちらも大切と言われていますが、中でも土台となるのは、存在承認となります。
他人と比較するのではなく、そのままの自分を認め、尊重し、自己価値を感じることができるという心の状態(自己肯定感)を獲得するために、そのままの自分で価値があるんだということを、小さい頃から実感できることは大切だと感じます。大きくなるにつれて行動承認を受ける機会の方が増えてしまう気もしますし😅(宿題やったらOK、テストで良い点を採ったらOKとか💦)だからこそ、存在承認の気持ちを大切に伝えていきたいと思っています。
(私自身が子どもの頃に、今考えると行動承認多めだったな〜という方法で愛情を伝えられていた記憶があるので、余計に敏感なのかもしれません。反面教師というわけではないけれど、娘には、アナ雪のエルサの歌のように、自己肯定感を持ってのびのびと成長していってほしいと願っています☺️)
そんな小難しい話は抜きにしても、本当に毎日、娘が健康に笑顔でここにいてくれることが本当に有り難くて、幸せで。それを言葉にして伝えるようにしています🍀
ありがとうのパワー
『ありがとうって言うと、言った人までいい気分になるよ』って、道徳の時間か何かで聞いた記憶があります。その時は、そんなもんかな、くらいにしか感じていなかったのですが、本当に威力があるとアラフォーになった今、すごく実感しています。
心の中で思うだけでなく、「ありがとう」と声に出して伝えると、その自分の声を聞いて自分の心も丸くなるような感覚があります。「ありがとう」って魔法のようです。
だから、「ありがとう」をたくさん伝える機会をくれている娘に本当に感謝です♡
(旦那さんにももっといっぱい伝えないとな…笑)
最後まで読んでくださってありがとうございました🌿

コメント